2023年3月28日火曜日

宮沢俊義「機関説事件の周辺」(1)

  「二 渡辺錠太郎」

 天皇機関説事件当時、軍は「軍部大臣を通じて政府をつき上げ」機関説を排撃したが、軍人の中には、「国体明徴の名で機関説を排撃することに賛成でなかった」人もいた。渡辺錠太郎もその一人である。東健一教授から聞いたところでは、二・二六事件の1週間前、陸軍砲工学校の校長が学生と教官を前に、渡辺が国体明徴論者ではないとの噂を否定する話をしたが、その話を聞いている中に、後に渡辺を二・二六事件で暗殺することになる人物がいたようである。

 「五 『狂妄を極めたり』」

 若き頃の上杉慎吉が−穂積八束言うところの「狂妄を極めた」−「天皇機関説を唱えたことはひろく知られて」いる。さて、彼の改説についての事情も「じゅうぶんに検討に値いすると思われるが」、それより気になるのは、なぜ上杉が「感情的な態度で美濃部説に非国民といわんばかりの非難をあびせかけたか」ということである。美濃部説が、かつて自己が主張したところとあまり違わないのであれば、「その異端邪説に対しては、もう少し同情と理解をもってもよかったのではないか」。

 「六 山川草木依然」

 穂積八束によれば、「日本では、天皇すなわち国家である」。皇位が滅んでしまえば、山川草木依然として変わらないが、国家は滅びる、となる。天皇機関説は、国家、天皇、国体を「ただ法学的に、散文的に、そして理知的」に扱うものであったが、天皇即国家とする穂積にとっては、その「態度そのものが」「がまんできなかったのであろう」。穂積に戦後日本を見せたら何と言うか。山川草木が依然としてあることは認めるだろうが、「『大日本帝国』は、いまもなお健在だというかどうか」。

 宮沢俊義「機関説事件の周辺」、同『憲法論集』(1978年、有斐閣)479−493頁。

2023年3月19日日曜日

宮沢俊義「ドイツの国民革命とユダヤ人排斥立法」

  「授権法」(1933年)は、「憲法改正の法律」であり、ライヒ「憲法七十六条に定むる憲法改正の手続」により制定された法律である。これは単なる憲法改正法ではなく、「憲法を停止しようとする」「憲法停止法」である。故にドイツ人は、この法律の成立を「『国民革命』」の名をもって呼ぶのである。

 ではこの革命(授権法)はどのような意味を有するか。「それは政府に完全な立法権を与えている」。これまでのように、「政府が法律に代わる命令を制定する」のではなく、「端的に政府が法律を制定する」と考えられている。なお政府は憲法にも変更を加え得る、すなわち「政府の立法権はつまり憲法改正権をも含む」こととされた。なおこのような「授権」は「従来の法律理論の全く認めないところに属する」。この「授権」は、「憲法の自殺的・自己否定的改正であり」、したがってそれは革命外ならない。

 さて、「法律的に一つの革命」である「国民革命」における改革は、すべて「『国民的』なものでなくてはならぬ」。では、国民革命はドイツ法律についてどのような国民的改革をもたらしたか。これについては、1933年4月7日の「新官吏法」と「弁護士法」の内容に注意したい。この両者とも、「非アリヤン人種」(主としてユダヤ人)を、官吏界、弁護士界から「排斥することをもってその主たる目的としている」。「ユダヤ人であるかいなか」。宗教や国籍ではなく「ひとえに人種によって決定せられる」。

 「ナチスの理論家たちはこのユダヤ人排斥を色々に弁明している」が、要は悪いこと(「彼らにとって都合の悪いこと」)すべてが「みんなユダヤ人のせいだ」という(「ユダヤ人の世界的陰謀ということ」の、「多くは荒唐無稽である」。そしてこの種の流言は西洋ばかりの出来事でなく、「わが国の大震災当時のことを思い出せばおのずから明らかとなるであろう」)。

 そしてナチスの理論家は、ユダヤ人についてこれを「ひとつの人種問題」として取り扱う。「非国民的なユダヤ人を排斥するといわずに、ただユダヤ人を排斥するという」。「ここにナチスの反ユダヤ人運動の特異性がある」。更に、法学の世界におけるナチスによるユダヤ人排斥にいたっては、「まことに乱暴きわまるものがある」。ケルゼン、ジンツハイマー、カントロヴィッツ、ラートブルフ等(「わが学会で高く而して正当に評価されている学者もいる」)が、「一挙に休職せしめられてしまった(「この休職はむろん「文官分限委員会への諮問なんぞという鄭重な(!)手続を経てなされたのではない)。それは、「彼らがユダヤ人であり、又はユダヤ的であると考えられたからである」。

 このような「ヒステリカルな反ユダヤ人運動」に対して、ドイツでも抗議の声は見られるが、それは「実際的には全く窒息せしめられているらしい」。反対意見をもつ者も「ひたすら静観主義をとっている」、それを「余儀なくされている」。「ここに此度の国民革命の『国民的』になる所以が存するのであろう」。

 宮沢俊義「ドイツの国民革命とユダヤ人排斥立法」、同『憲法論集』(1978年、有斐閣)97−106頁。

2023年3月8日水曜日

宮沢俊義「たたかう民主主義者」

  「民主主義の保障する自由を乱用して民主主義を破壊しようとする運動」(ナチズム)に対し、「民主主義をどう守るべきか」。民主主義体制における自由の中に、「民主主義体制を根本的に破壊する自由」は含まれるのか。これは、自由のパラドックス、トレランスのパラドックスと呼ばれる場合と同じに考えられる。「すべてのものにトレランスでなければいけないとして、」「トレランスを保障する原理そのものを否定する」イントラレン卜に対しても、「トレラントでなければならないか」。

 この問題に対しては、「消極的な、リベラルなデモクラット」「どこまでもリベラリズムに徹する態度」をとるか、「積極的なミリタントなデモクラット」「たたかう民主主義者の態度」(ボン憲法)のいずれかをとることになろう。この問題は難問だが、ラッセルは後者の姿勢を取った。

 まずラッセルが、「強気なリベラリスト」ということに注意しておきたい。ラッセルは第二次直前に書かれた自著の中で、イギリスの植民地を守るための武力を廃止し、他国が攻めてきても無抵抗であることを主張した。「そうなると、海外の領土はだんだん小さくなって、しまいに本国だけになるだろうが」、無抵抗でいる限り本国は無事に残る、「それでいいじゃないかという極端な無抵抗主義」をとった。ここでのラッセルには、先程の「リベラル・デモクラットの態度」が現れている。なお、戦時中、日本も軍備を全廃し、戦艦を「ぜんぶ太平洋のまんなかへもっていって沈めてしまう」。植民地はそれぞれ独立するが放置しておく。「そうしたら、どうだったろうか」。結果において戦後と同じことになったのではないか。「こんなに大勢の人間を殺さないですんだじゃないか」。

 無論ラッセルは、後にリベラルなデモクラットから、「ナチと戦うのは、デモクラシーを守るために必要である」という「ミリタント・デモクラットの態度」をはっきり示すようになった。このようなラッセルの態度の背景としては、①「悪に対する怒りというようなものの必要」を説く「強い性格」、②「傍観する、外で見ている」、逃避するという、「無責任」なところに結びつく「スケプティック」とは真逆の「パッショネイトなスケプティシズム」、つまり「非常に冷たい、科学的な態度」をもちつつ、投げやりにならず「あくまで情熱をもって、人類の幸福のためにデモクラシーと平和のために戦う」姿勢、の二点があげられる。

 宮沢俊義「たたかう民主主義者」、同『憲法論集』(1978年、有斐閣)371−387頁。

2023年2月15日水曜日

宮沢俊義「指導者と指導者国家」

  ドイツは「指導者国家」と呼ばれ、「その宰相ヒットラーは『指導者』」とされる。そして、ナチス・ドイツの国家理論においては、政治権力は「指導」という形で行われる。

 「『指導』の権力は」、「国家作用の全体を独占する意味」において「全体的なもの」であることを要する。この結果、「政治的多元主義は認められるぬことができぬ」。政治権力が、議会や政府、政党といった諸要素間の間で分割されることや、組合や宗教団体といった国家外の諸要素間において分割されることも許されない。

 また、指導の権力が指導者に集中すべきだということから、「権力分立制も排斥」される。権力分立制は、「個人の自由の保障」を目的とする自由主義国家において「権力分立性は本質的な要素」とされる。一方ナチス国家においては、「個人を共同体のうちに包含し」、個人を社会的存在たらしめるため、「個人と国家の対立は解消」され、個人を国家に対し保護する必要はなくなる。ここでは、権力分立制は、「全く無用ばかりであるだけじゃなく」、「強く排斥せられることを要する」。「『指導』ということが、自らを実現するために、すべての国家作用を必要とする」。

 立法権については、「『指導者』の制定する法律」(形式的意味の法律)でもあり、実質的には、民族精神に適合した指導の行為という性質を備える。法律は「国家の意志行為」ではなく、「必ずや『指導者』の意志行為でなくてはならぬ」。そしてこのような法律は、普遍性かつ非人的でありうるばかりでなく、「場合によっては個別的でもありうる」。 

 自由主義国家では、「普遍性」(普遍的な規則に基づく行政、裁判)は法律の本質的要素とされたが、「指導者国家ではそうではない」。ここでは、指導者が「個別的な法律を制定する」という結果が出てくる。自由主義国家では個人間の調整のため、法律は、個人だけを法律の目的としその目的のために普遍性を有するが、指導者国家では、法律は「民族精神から出発し民族の生活欲の表現」たろうとする。ここでは自由主義国家のように「個人や公平ということはもはや問題ではない」。民族精神に適合する指導を確保するための法律は、普遍的な法律、個別的な法律のいずれでも実現できるので「法律はそのいずれでもありうる」。

 宮沢俊義「指導者と指導者国家」、同『憲法論集』(1978年、有斐閣)138、150−159頁。

2023年1月8日日曜日

佐々木惣一「政治に対する反動と反省」

  政治において重要なのは「政治的制度そのものではなく」、「制度の運用である」。政治は、法の規定に合致していないければならないが、「単に法の規定に合うのみでは未だ以て」十分ではない。政治はさらに、「法の規定の許す範囲内に於いて、更にその法の精神に最も適当する手段」を採らねばならない。

 この点、憲法について「特に注意すべき点である」。政治は「少なくとも憲法の規定に違反してはならぬ」。ただこれだけでは不十分であって、憲法の規定内で「更に憲法の精神に最も善く適合せなければならぬのである」。

 そして、ここにおいて「憲法の運用と云う観念」が生じる。憲法の運用が「最も善く憲法の精神に適合して居ない間は」、立憲政治は不完全である。立憲政治とは、憲法の規定に違反しない政治と云うわけではない。憲法の規定は法文として存在し、これを知るのは容易なことであって「一箇の知識の問題」にすぎない。

 一方「憲法の運用」は、法文もなく、「憲法の精神に適合すると云う事であるから」、憲法の運用には法文を知るだけでは十分ではなく、「憲法の精神を体得せねばならぬ」。つまり憲法の運用は、「知識の問題では無く、精神の問題である」。立憲政治を行うには、憲法の精神を明らかにする必要がある。法学校出身者は、憲法の講義を聴き、これらの人々が朝に野に政治の衝に当たっている。これらの多くは憲法の規定を知っているだろうが、「憲法の精神を明らかにして居るだろうか。頗る疑わしい」。そしてこの憲法の精神は、「一時的に明滅するものではなく、継続的に発揮せらるべきものである」。

 では憲法の精神とは何か。これを説明するのは難しいが「憲法を要求するに至った所の精神」であり、これを「立憲的精神と云う」。立憲的精神が「実質」であり、憲法は「畢竟のこの立憲的精神に対して与えられた形式」である。「立憲政治の理想」としては、この「形式を遵守せねばならぬ」が、形式の許す範囲内で「成るべく完全に立憲的精神に率由して政治を行わねばならぬ」。

 佐々木惣一「政治に対する反動と反省」、大石眞編『憲政時論集Ⅰ』(1998年、信山社)105−108頁。

2022年11月26日土曜日

伊藤正巳「少数意見制」

  多数意見や法定意見の結論や理由に同調できないとか、それらの不十分さを補う必要があると考える裁判官に対し「顕名でその個別の意見の公表することを許すかどうか」は、国の裁判における政策に関係する。このような意見の表示を認める制度を「少数意見制と呼ぶならば」、日本においては、戦後最高裁について認められた(裁判所法11条)。この制度は、どう用いるかに付き「裁判官的思考に傾く裁判官と学者的思考に偏る裁判官の間に相違がみられるように思われる」。

 「1 少数意見制の得失」

 少数意見制のデメリットとして、次のようなことが言われる。

 ① 裁判所における意見分裂を示すのは、「法の安定性を害」し、「安定性に対する民衆の信頼感を減退させる」。しかし、少数意見特に僅差である旨の表示は、「法の不安定な状況を示唆」することで「将来の法の変化、判例の変更」を予測させることもあり得るので、デメリットとは言えない。

 ② 少数意見制は「裁判所の権威を害」し、「裁判所全体の威信を減退する」(ヨーロッパ大陸)。そこでは、判例たる「多数意見のみが一枚岩のように示されることが、裁判への信頼を生むとされるのであろう」。しかし、「全員一致の裁判」の形をとり、少数意見の表明を抑えることが、裁判所の権威を高めるのか。これとは反対に、英米法的考えからすると、各裁判官に各意見を述べる機会を付与するほうが、「外部から見ても裁判官の独立を保障し、司法の権威を増すともいえよう」。ここに大陸法と英米法における裁判観の違いがあるように思われる。

 ③ 少数意見制では、扱われた問題に「疑問がなお残っており、最終的な決着がついていない」ことが示されるため、判例として定着するまで、同種の問題を争う「訴訟を誘発し、濫訴を招きやすい」。ただこれは、当該「問題が重大であり、決着を求める欲求がつよいから」であるとも言え、少数意見制がなければ訴訟の誘発を防げたかどうかは確信できない。

 ④ 少数意見が、判決の結論を左右するものでなく、しかも、「法的に見て価値に乏しい『独り言』に堕する危険性」。但しこれは、「少数意見の内容にかかわることであり」、「それをもって制度そのものを否定」する欠陥とは言えない。

 ⑤ 少数意見の存在が、「多数意見の内容を歪曲し、不適当な判例を生み出す可能性をもつ」。少数意見が多数意見に反論する場合、多数意見の判旨を歪曲することがあり得るし、「歪曲された多数意見が判例として生き残り、一般化していくこと」があり得る。また、少数意見による反撃に対し、多数意見自体が「極端な見解への論及」に誘われる。最後の点は、少数意見公表に伴う弊害であるが、日本では、「私の乏しい経験からいって、少数意見を論駁するために」多数意見が無用の論及をすることは「ほとんどないように思われる」。

 一方少数意見のメリットはなにか。

 ア 少数意見の多数意見への批判により、「裁判所内部でのいわば自己批判を可能」とする。この結果「判決の質が向上し、多数意見という判例となる意見の含む法原則が慎重に形成される」。 

 イ 少数意見の公表が、かえって「合議で審理がつくされ、各裁判官の注意深い深慮のもとで」判決が出されたと確信させ得る。これは「司法の権威のために必要である」。

 ウ 少数意見は、「各裁判官の資質、能力を判断し、その思考のあり方を知るための材料を提供する」。特にそれは、国民審査のための「最も重要な素材となる」といえよう。

 エ 少数意見は、「判例変更の素地を提供し、法の発展に対して大きな意味」を有する。少数意見の影響により、法律や政令の改廃が行われる例はアメリカでは多い。日本ではこのようなことはあまりみられないが、津地鎮祭訴訟判決の後、「地方自治体が公共的建築の地鎮祭の費用を支出しなくなった運用」は、有力な少数意見も何らかの役割は果たしたと言えなくはないだろう。

 オ 裁判所が、社会的経済的条件の変化に応じ 「法を生成させていく」役割について、少数意見がその方向性を示唆する機能。ここでは少数意見が「法的安定に資する意味のあることをみのがすことができない」。

 伊藤正巳「少数意見制」『裁判官と学者の間』(1993年、有斐閣)70ー81頁。なお行政書士試験2022年第1問は、上記②の部分からの出題である。

2022年11月15日火曜日

瀧川幸辰「刑法の人と学説(その五)」

  「一 刑事政策学派の指導者リスト」

 リストは、「刑事政策に目標を与えた人」で、「政治家肌」の人柄を有していた。大学教授になった後は、自己の研究室を「世界の各大学の刑法教授の養成所」と考え指導にあたっていた。そして晩年は、プロイセンの国会議員として政治と関係した。このリストを「刑事政策学派の指導者」ということが一般的だが、「理論刑法の学者としても第一流であった」。

 なおリストは、音楽家のフランツ・リストとは「従兄弟になる」。リストの父と音楽家とは特に仲が良かったため、「刑法学者は音楽家に可愛がられて大きくなった」。刑法学者が音楽を通じ国際文化に触れたことは、「その一生涯を通じて国際主義者として生きぬいた」要因となった。

 「二 刑事政策学派の発展」

 リストの刑事政策は、二つの思想「一つは社会防衛、他の一つは法的安全の思想」の上にある。刑罰の任務、目的は、犯罪人を社会に適合させるかそこから淘汰するかのいずれかであるが、「制限のない合目的的な処置」を彼は拒否する。具体的には、「行為となって現れない犯罪的意思」の処罰や、「法律が犯罪としない反社会的行為」の処罰は許されないとした(「刑法典は犯罪人のマグナ・カルタである」)。

 リストの理論には、「構成要件にしばられる刑法理論」(「法的安全と行為」)と「行為者だけを眼中において構成せられる刑事政策」(「社会防衛と行為者」)との間に緊張関係、二元主義が見られるー「『刑法は一方の手を犯罪人に対して脅迫的に突出し、他方の手で犯罪人をかばう』(イェーリング)」ー。

 リスト刑事政策の中心思想は、「改善可能者を改善し、改善不能者に対しては犯罪を行うことができないような処置をとる」というものだが、「改善可能を誇張することに反対し」「教育刑に対しては控目」な態度を取る。また改善不能者に対しての不定期刑については「極めて厳格な態度」をとり「社会防衛のための厳重な拘禁」を主張した。

 「三 刑法理論学者リスト」

 リストの刑法理論は「客観主義」(刑事政策では社会防衛が重要)であり、刑法では、「法的安全の思想」「裁判官の専断から犯罪人を保護すること」が重要であるとした。そしてリストの理論においては、犯罪の成立に「行為、違法、責任、構成要件の四つ」が必要とされ、犯罪は「客観的な行為として、外界に現れた意志変化として、明白な出来事として」表現されるとした。

 瀧川幸辰『刑法講話』新版(1987年、日本評論社)114-121頁。

宮沢俊義「機関説事件の周辺」(1)

  「二 渡辺錠太郎」  天皇機関説事件当時、軍は「軍部大臣を通じて政府をつき上げ」機関説を排撃したが、軍人の中には、「国体明徴の名で機関説を排撃することに賛成でなかった」人もいた。 渡辺錠太郎 もその一人である。東健一教授から聞いたところでは、二・二六事件の1週間前、陸軍砲工学...