多数意見や法定意見の結論や理由に同調できないとか、それらの不十分さを補う必要があると考える裁判官に対し「顕名でその個別の意見の公表することを許すかどうか」は、国の裁判における政策に関係する。このような意見の表示を認める制度を「少数意見制と呼ぶならば」、日本においては、戦後最高裁について認められた(裁判所法11条)。この制度は、どう用いるかに付き「裁判官的思考に傾く裁判官と学者的思考に偏る裁判官の間に相違がみられるように思われる」。
「1 少数意見制の得失」
少数意見制のデメリットとして、次のようなことが言われる。
① 裁判所における意見分裂を示すのは、「法の安定性を害」し、「安定性に対する民衆の信頼感を減退させる」。しかし、少数意見特に僅差である旨の表示は、「法の不安定な状況を示唆」することで「将来の法の変化、判例の変更」を予測させることもあり得るので、デメリットとは言えない。
② 少数意見制は「裁判所の権威を害」し、「裁判所全体の威信を減退する」(ヨーロッパ大陸)。そこでは、判例たる「多数意見のみが一枚岩のように示されることが、裁判への信頼を生むとされるのであろう」。しかし、「全員一致の裁判」の形をとり、少数意見の表明を抑えることが、裁判所の権威を高めるのか。これとは反対に、英米法的考えからすると、各裁判官に各意見を述べる機会を付与するほうが、「外部から見ても裁判官の独立を保障し、司法の権威を増すともいえよう」。ここに大陸法と英米法における裁判観の違いがあるように思われる。
③ 少数意見制では、扱われた問題に「疑問がなお残っており、最終的な決着がついていない」ことが示されるため、判例として定着するまで、同種の問題を争う「訴訟を誘発し、濫訴を招きやすい」。ただこれは、当該「問題が重大であり、決着を求める欲求がつよいから」であるとも言え、少数意見制がなければ訴訟の誘発を防げたかどうかは確信できない。
④ 少数意見が、判決の結論を左右するものでなく、しかも、「法的に見て価値に乏しい『独り言』に堕する危険性」。但しこれは、「少数意見の内容にかかわることであり」、「それをもって制度そのものを否定」する欠陥とは言えない。
⑤ 少数意見の存在が、「多数意見の内容を歪曲し、不適当な判例を生み出す可能性をもつ」。少数意見が多数意見に反論する場合、多数意見の判旨を歪曲することがあり得るし、「歪曲された多数意見が判例として生き残り、一般化していくこと」があり得る。また、少数意見による反撃に対し、多数意見自体が「極端な見解への論及」に誘われる。最後の点は、少数意見公表に伴う弊害であるが、日本では、「私の乏しい経験からいって、少数意見を論駁するために」多数意見が無用の論及をすることは「ほとんどないように思われる」。
一方少数意見のメリットはなにか。
ア 少数意見の多数意見への批判により、「裁判所内部でのいわば自己批判を可能」とする。この結果「判決の質が向上し、多数意見という判例となる意見の含む法原則が慎重に形成される」。
イ 少数意見の公表が、かえって「合議で審理がつくされ、各裁判官の注意深い深慮のもとで」判決が出されたと確信させ得る。これは「司法の権威のために必要である」。
ウ 少数意見は、「各裁判官の資質、能力を判断し、その思考のあり方を知るための材料を提供する」。特にそれは、国民審査のための「最も重要な素材となる」といえよう。
エ 少数意見は、「判例変更の素地を提供し、法の発展に対して大きな意味」を有する。少数意見の影響により、法律や政令の改廃が行われる例はアメリカでは多い。日本ではこのようなことはあまりみられないが、津地鎮祭訴訟判決の後、「地方自治体が公共的建築の地鎮祭の費用を支出しなくなった運用」は、有力な少数意見も何らかの役割は果たしたと言えなくはないだろう。
オ 裁判所が、社会的経済的条件の変化に応じ 「法を生成させていく」役割について、少数意見がその方向性を示唆する機能。ここでは少数意見が「法的安定に資する意味のあることをみのがすことができない」。
伊藤正巳「少数意見制」『裁判官と学者の間』(1993年、有斐閣)70ー81頁。なお行政書士試験2022年第1問は、上記②の部分からの出題である。