政治において重要なのは「政治的制度そのものではなく」、「制度の運用である」。政治は、法の規定に合致していないければならないが、「単に法の規定に合うのみでは未だ以て」十分ではない。政治はさらに、「法の規定の許す範囲内に於いて、更にその法の精神に最も適当する手段」を採らねばならない。
この点、憲法について「特に注意すべき点である」。政治は「少なくとも憲法の規定に違反してはならぬ」。ただこれだけでは不十分であって、憲法の規定内で「更に憲法の精神に最も善く適合せなければならぬのである」。
そして、ここにおいて「憲法の運用と云う観念」が生じる。憲法の運用が「最も善く憲法の精神に適合して居ない間は」、立憲政治は不完全である。立憲政治とは、憲法の規定に違反しない政治と云うわけではない。憲法の規定は法文として存在し、これを知るのは容易なことであって「一箇の知識の問題」にすぎない。
一方「憲法の運用」は、法文もなく、「憲法の精神に適合すると云う事であるから」、憲法の運用には法文を知るだけでは十分ではなく、「憲法の精神を体得せねばならぬ」。つまり憲法の運用は、「知識の問題では無く、精神の問題である」。立憲政治を行うには、憲法の精神を明らかにする必要がある。法学校出身者は、憲法の講義を聴き、これらの人々が朝に野に政治の衝に当たっている。これらの多くは憲法の規定を知っているだろうが、「憲法の精神を明らかにして居るだろうか。頗る疑わしい」。そしてこの憲法の精神は、「一時的に明滅するものではなく、継続的に発揮せらるべきものである」。
では憲法の精神とは何か。これを説明するのは難しいが「憲法を要求するに至った所の精神」であり、これを「立憲的精神と云う」。立憲的精神が「実質」であり、憲法は「畢竟のこの立憲的精神に対して与えられた形式」である。「立憲政治の理想」としては、この「形式を遵守せねばならぬ」が、形式の許す範囲内で「成るべく完全に立憲的精神に率由して政治を行わねばならぬ」。
佐々木惣一「政治に対する反動と反省」、大石眞編『憲政時論集Ⅰ』(1998年、信山社)105−108頁。