2023年5月27日土曜日

穂積八束「行政法大意」

 「第二節 行政行為」

 行政行為 ①「直接ノ効果ガ行政内部ニ止マル者」(監督、訓令)②「外部ニ対シ国法上ノ関係ヲ生スル者」(規則、処分)。

「第四節 行政処分」

 行政処分 「法規ヲ執行シ」またはこれに矛盾しない限りで「公安公益ノ為ニ特定ノ人ニ対スル特定ノ行為ヲ為ス」。 「権利ヲ与ヘ、負担ヲ命シ、行為ノ自由ヲ制限する」ものであり、①「執行処分」と②「職権処分(便宜処分)」に分かれる。

 ①「特定ノ人ニ対シ法則ヲ適用スル行為」。「個人ノ自由ノ範囲ハ行政処分権ノ外ニ於イテ既ニ」定まっているもの。「行政裁判所ノ制度ニ依リテ之ヲ審判スルニ適ス」。

 ②「法令ノ範囲内ニ於テ職権に由リ公安公益を按検シテ行フ」。「行政監督ノ権ニ依リテ之ヲ審判スルニ適ス」。

 行政処分は、「性質上強行ノ権ヲ含蓄」(被治者ノ意志ニ拘ラス)し、「当然ニ強行力ヲ有スレトモ必シモ当然ニ処罰ノ権能ヲ兼有セス」。

長尾龍一編『穂積八束集』(2001年、信山社)129−134頁。

2023年5月17日水曜日

風早八十二「弾圧法の過去と現在」

「軍国主義と治安維持法の自己増殖」

 治安維持法は二度、「犯罪類型の拡張と重罰化を内容とする大改正を経ている」。結果、同法による弾圧犠牲者も果てしなく拡大した。この治安維持法の「悪魔的機能の『増殖』現象」の背景には、「寄生的土地所有と独占資本の両馬にまたがる『軍事的警察的天皇制』(旧日本軍国主義)の本質・役割とのかかわり」がある。

 「『聖域』としての『国体』観念」

 治安維持法は、保護法益に「『国体』と『私有財産制度』の二本の柱」をおいた。ではこの国体とはなにか。これは、司法省によれば旧憲法における、「万世一系の天皇による日本統治」(1条)、「神聖不可侵としての天皇」(3条)、「統治権の総覧者としての天皇」(4条)を意味するとされた。これらの条項は、旧憲法における「近代的粉飾」「をもぬぐいすてた生地の絶対主義』を表現する部分」である。つまり治安維持法の国体は、旧憲法の「『絶対主義』が生地のまま乗り移ったもの」であった。この国体は、国民が批判や「それを口にすることすらもはばかられる『聖域』」であり、国体は「思想警察を中心とする暴力装置」で守られればならず、それのために「犯罪類型の増殖」を必要とした。

「『思想犯』類型と特高警察の増殖」

 「治安維持法の『思想犯』類型は」、二度の改正により「タテ、ヨコに増殖をとげた」。「ヨコへの増殖」においては、「『結社』概念の拡張」が行われた。次に、「タテの増殖」においては、「『結社の目的遂行のためにする行為』という融通無碍」の犯罪類型が作られた。これは、前記結社のメンバーではない者を、「メンバーとまったく同じ刑罰に処する法的根拠に使われた」。この結果、結社のメンバーに「一夜の宿」を貸すとか、飯を食わせる行為まで処罰対象となった。

 「『転向』の強制と予防拘禁制」

 治安維持法の聖域は、これに反する思想を「焚書」により、思想の持ち主を「隔離」、「抹殺」することになる。このために思想転向(「『国体への絶対帰依)が用いられた。検事は不起訴処分等の場で、裁判官は執行猶予等言い渡しの場で、思想犯保護観察審査会は保護観察にするか否かの決定を、裁判官は「刑期満了者を予防拘禁に付するか否か」の命令を、転向と引換に行使した。「かくして刑期満了者は」「非転向を理由に、そのまま獄につながれ、死ぬまで出られないのである」。

 風早八十二『治安維持法五十年憲法』(1976年、合同出版)141−146頁。

2023年5月6日土曜日

稲田陽一「自由権の国民相互間における効力について」

  ① 自由権は国家に対する自由として考えられてきたものの、「伝統的憲法学の主流には、資本制生産の支柱である『所有権不可侵』『職業の自由』に関する限り、例外的に第三者に対する直接的効力を引き出す無意識傾向」がある。

 ② そもそもブルジョアジーを中心とする階級は、「自然法的自由・平等を旗印として」市民革命を遂行した。そして革命後、新しい市民国家建設においては、彼等のために「形式的に自由・平等なる人格、所有権、契約自由を全面的に確立すること」が課題となった。これらは法律に因って具体化されたが、その一方思想、良心の自由や言論の自由等は、「ただ国家に対して保障されるだけで十分」とされた。彼等にとってそれらの自由を侵害する「『第三者は存在しなくなったからであった。

 ③ ブルジョアジーにとって「革命はもはや無用」となった。19世紀は、「ブルジョア的人権たる所有権および営業の自由の私人間相互における絶対化の時期」であり、立法によりこれらの自由について「第三者効力の保障が全面」に出てきた時代であった。

 ④ しかし19世紀後半から、資本主義の発展は「その内在する矛盾を顕在」せしめるようになる。民事裁判官は、「自由法運動に励まされつつ」、一般条項に基づき私的自治の濫用を制限した。この段階で、「『人間らしき生活』の確保が意識されるように」なった。また、新たに生じた労働法の領域では、「労働者の権利による所有権および契約の自由の制限が行われた」。この労働関係の領域においても、「人間性の確保が切実に要求されている」。この要求は「憲法上の承認を求めようとする。そこに現代における第三者効力の焦点がある」。

 稲田陽一「自由権の国民相互間における効力について」、同『憲法と私法の接点』(1970年、成文堂)32−34頁。

2023年4月30日日曜日

牧野英一「社会的責任の立場から」(2)

  「教唆の未遂」の問題がある。「わが国においてこれを論じたのはわたくしであった」。一般的に、教唆の従属性ということから教唆の未遂は不可罰であることを当然としている。しかし、「手先に使用せられる青少年者を犯罪の実行者として処罰しつつ、その背後に在る教唆者を、その未遂の場合において実行者に非ずとして不問に付するのは、われわれの果たして忍び得ることろであろうか」。しかし「教唆の独立性」ということは未だ理解されず、教唆の独立性は、「犯罪の実行に対する主観主義の当然の事理なるにかかわらず」、学者はこれを理解しない。

 なお、「国民の常識の問題として、人を殺すことと、人を殺すことを教唆するのとは、類型を相違にするもので犯罪の性質を別にする」という見解もある。わたくしは、例えば殺人と窃盗は「類型を異にする」ものを認め、「罪刑法定主義上」、窃盗犯人に対し殺人で処理することができないのを当然と考える。「しかし、人を殺すことを教唆した者は、その被教唆者の手に因ってその殺人が為された場合において被教唆者と同じく正犯として論ぜられるので」、そこに類型の相違を認められない。殺人「教唆と現に手を下して人を殺したこと」をきちんと区別すべきという論者もいるが、わたくしは、教唆者と被教唆者との間に「事物の本質上、いかなる差異があるかを知るに苦しむのである」。「わたくしから見れば、教唆も実行も共に同じく正犯とせられるものであるにもかかわらず、世は、両者を以ってその類型を異にするものとし、その関係は風馬牛も相及ばざるところであるかの如く論ずるのである」。

 牧野英一「社会的責任の立場から」、同『刑法と社会的責任』(1965年、有斐閣)38−40頁。

2023年4月22日土曜日

牧野英一「刑事責任の性質について」

  「意思の自由」ということが問題になる。意思自由を前提にすると、そこに「倫理の問題が在る」ということになる。そして犯罪を「道徳的責任の問題として考えるとき、それは罪を犯す者の自由意思の発現である」ということになる。「犯罪による責任が道徳的なものとなる」結果、「刑罰としての害悪が応報として」正当化される。 

 これに対するものとして、「科学としての犯罪学が現出した」。ここでは「犯罪人の意思に対する考え方が」、自由意思論ではなく、「客観的な実証的な観察の結果としての意思必至論」となる。意思必至論を前提とする刑事責任は、道義的責任ではなく、「社会的責任としての合理的な人道的なものに向かって」進みつつある。

 「自由意思に因る犯罪に対し応報刑としての害悪刑を科すること」が普遍妥当なものであり、厳粛命令である」ということを前提に観念論を主張する論者もいる。「これに対し、われわれは、犯罪の原因をたずねて、犯罪人のそれぞれに対し、科学的に適切な有効な方法を考えることに因り」、犯罪人を社会復帰させることに刑事政策の目標があるとし、「そこに、科学主義を主張することになっているのである」。「これが、刑法における新しい進化の動きである」。

 牧野英一「刑事責任の性質について」、同『刑法と社会的責任』(1965年、有斐閣)102−106頁。

2023年4月13日木曜日

牧野英一「社会的責任の立場から」

  「刑の執行の制度については、わたくしの経験したところとしても、憶い出になるところとして」次のようなものがある。 

 ① 執行猶予制度を日本に持ち込んだのは誰か。「わたくしの想起するところでは、わたくしが法科大学の学生であったその当時(明治三十四、五年の頃)新たに留学から帰国された岡田博士が」、学生の間に問題として紹介した。「岡田博士はリストに師事された」のであり、そのリストは刑事政策として執行猶予を主張したのだが、執行猶予は、「われわれの間には非論理的な一種の珍奇な制度」と受け入れられていた。執行猶予が「広く比較法的に理解せられるに至ったのは」、「後年の大審院長泉二博士」の論文を待たざるを得なかった。

 ② 現行刑法になり執行猶予はやや広く認められるようになった。なお「昭和二十二年の刑法改正の際、当時の司法省司法制度委員会は」、従前の自由刑二年の制限を「ゆるめることを肯んじなかった」。「わたくしは」、「実際上の見地」等から「当時の現行法を固持すべきでない」旨主張したが、「委員会諸家の挙げて反対したところであった。しかし、わたくしの熱心な主張に因って、わたくしの三年案」が法律となった。なお「立法例としては、執行猶予を許容するにつき、刑期の制限を認めないものがあるのである」。このあたりを推して考えれば、「無期刑及び死刑についても立法論として執行猶予を許容するということが考えてしかるべきであろう。兎に角、執行猶予の制度はその適用を推しまるべきではない」。

 ③ 「刑法理論上、執行猶予の制度の地位はどうか」。これを「一種の応報的制度」として理解すべきものという論者もいる。「善に対して賞あるべきが如く」、悪に対して悪がなければならないとすれば、「執行猶予はひとつの小さな悪として小さな悪に対しふさわしい刑罰であるにちがいない」。しかし、応報刑論に従えば執行猶予の効果を考慮する必要はなくなる。「刑の贖罪的機能はそれが一つの処分として言い渡されただけで論理的には満足が得られ」るからである。

  ④ しかし執行猶予の効果を考慮する者にとってこれは不十分である。応報的要素を捨て「執行猶予は、更に拡張されて宣告猶予とならねばならぬ」。さらに「宣告を猶予せられた者を保護観察に付する」必要がある。「ここに至っては、保護観察は刑事上の独立の制度となり、いわば刑に非ざる刑法上の制度が一種の制裁としてせられる」。これは「わたくしの用語を以ってすれば刑法の非刑法化の一現象に属する」(イェーリングによる「刑法の将来はその廃絶に在る」という言葉に注意)。

 牧野英一「社会的責任の立場から」、同『刑法と社会的責任』(1965年、有斐閣)12−16頁。

2023年3月28日火曜日

宮沢俊義「機関説事件の周辺」

  「二 渡辺錠太郎」

 天皇機関説事件当時、軍は「軍部大臣を通じて政府をつき上げ」機関説を排撃したが、軍人の中には、「国体明徴の名で機関説を排撃することに賛成でなかった」人もいた。渡辺錠太郎もその一人である。東健一教授から聞いたところでは、二・二六事件の1週間前、陸軍砲工学校の校長が学生と教官を前に、渡辺が国体明徴論者ではないとの噂を否定する話をしたが、その話を聞いている中に、後に渡辺を二・二六事件で暗殺することになる人物がいたようである。

 「五 『狂妄を極めたり』」

 若き頃の上杉慎吉が−穂積八束言うところの「狂妄を極めた」−「天皇機関説を唱えたことはひろく知られて」いる。さて、彼の改説についての事情も「じゅうぶんに検討に値いすると思われるが」、それより気になるのは、なぜ上杉が「感情的な態度で美濃部説に非国民といわんばかりの非難をあびせかけたか」ということである。美濃部説が、かつて自己が主張したところとあまり違わないのであれば、「その異端邪説に対しては、もう少し同情と理解をもってもよかったのではないか」。

 「六 山川草木依然」

 穂積八束によれば、「日本では、天皇すなわち国家である」。皇位が滅んでしまえば、山川草木依然として変わらないが、国家は滅びる、となる。天皇機関説は、国家、天皇、国体を「ただ法学的に、散文的に、そして理知的」に扱うものであったが、天皇即国家とする穂積にとっては、その「態度そのものが」「がまんできなかったのであろう」。穂積に戦後日本を見せたら何と言うか。山川草木が依然としてあることは認めるだろうが、「『大日本帝国』は、いまもなお健在だというかどうか」。

 宮沢俊義「機関説事件の周辺」、同『憲法論集』(1978年、有斐閣)479−493頁。

穂積八束「行政法大意」

  「第二節 行政行為」  行政行為 ①「直接ノ効果ガ 行政内部 ニ止マル者」(監督、訓令)②「 外部 ニ対シ国法上ノ関係ヲ生スル者」(規則、処分)。 「第四節 行政処分」  行政処分 「法規ヲ 執行 シ」またはこれに矛盾しない限りで「公安公益ノ為ニ特定ノ人ニ対スル 特定ノ行為 ...