「刑の執行の制度については、わたくしの経験したところとしても、憶い出になるところとして」次のようなものがある。
① 執行猶予制度を日本に持ち込んだのは誰か。「わたくしの想起するところでは、わたくしが法科大学の学生であったその当時(明治三十四、五年の頃)新たに留学から帰国された岡田博士が」、学生の間に問題として紹介した。「岡田博士はリストに師事された」のであり、そのリストは刑事政策として執行猶予を主張したのだが、執行猶予は、「われわれの間には非論理的な一種の珍奇な制度」と受け入れられていた。執行猶予が「広く比較法的に理解せられるに至ったのは」、「後年の大審院長泉二博士」の論文を待たざるを得なかった。
② 現行刑法になり執行猶予はやや広く認められるようになった。なお「昭和二十二年の刑法改正の際、当時の司法省司法制度委員会は」、従前の自由刑二年の制限を「ゆるめることを肯んじなかった」。「わたくしは」、「実際上の見地」等から「当時の現行法を固持すべきでない」旨主張したが、「委員会諸家の挙げて反対したところであった。しかし、わたくしの熱心な主張に因って、わたくしの三年案」が法律となった。なお「立法例としては、執行猶予を許容するにつき、刑期の制限を認めないものがあるのである」。このあたりを推して考えれば、「無期刑及び死刑についても立法論として執行猶予を許容するということが考えてしかるべきであろう。兎に角、執行猶予の制度はその適用を推しまるべきではない」。
③ 「刑法理論上、執行猶予の制度の地位はどうか」。これを「一種の応報的制度」として理解すべきものという論者もいる。「善に対して賞あるべきが如く」、悪に対して悪がなければならないとすれば、「執行猶予はひとつの小さな悪として小さな悪に対しふさわしい刑罰であるにちがいない」。しかし、応報刑論に従えば執行猶予の効果を考慮する必要はなくなる。「刑の贖罪的機能はそれが一つの処分として言い渡されただけで論理的には満足が得られ」るからである。
④ しかし執行猶予の効果を考慮する者にとってこれは不十分である。応報的要素を捨て「執行猶予は、更に拡張されて宣告猶予とならねばならぬ」。さらに「宣告を猶予せられた者を保護観察に付する」必要がある。「ここに至っては、保護観察は刑事上の独立の制度となり、いわば刑に非ざる刑法上の制度が一種の制裁としてせられる」。これは「わたくしの用語を以ってすれば刑法の非刑法化の一現象に属する」(イェーリングによる「刑法の将来はその廃絶に在る」という言葉に注意)。
牧野英一「社会的責任の立場から」、同『刑法と社会的責任』(1965年、有斐閣)12−16頁。