2022年2月27日日曜日

丸山眞男「政治学における国家の概念」

 ① 「市民社会と個人主義的国家観」 封建社会を排除し誕生した市民社会の主人はいかなる国家観を担うか、また、この国家観の基礎にある世界観はなにか。まず、この市民社会は「経済社会」と捉えられる。ここでは、商品生産から商品交換までの流れを成立させるため、「平均人」の概念や、「抽象的な平均労働の所産」としての商品という概念を用いて「合理主義的還元」が行われるが、その結果、市民社会における経済活動に「見透し」が可能となる。

 つまりここでの「思惟様式は合理主義的実証主義」であり、対応する国家観は「個人主義的国家観」(「あらゆる社会的拘束から脱却した自由平等な個人」を最終的な実在とみなし、一切の社会関係を個人の相互関係から説明し、その相互関係の保障を国家主権に求める国家観)となる。

② 「市民的国家観の転向」 1870年から1890年の間に、産業、商取引、金融の各資本は大金融家の下におかれ、この独占的結合の結果生み出される過剰資本は世界市場を巡って争うことになる。ここで資本主義は独占金融資本の段階になるが、それは「帝国主義時代」でもある。結果、「市民層と国家権力とは急速に接近」し、「新植民地」を求める「資本の先頭には常に軍機が翻るに至った」。

 その後、帝国主義「列強の対立は1914年に爆発」するが、大戦後もなお続く、国内「独占資本の寡頭支配」は政治経済の民主化と調和せず、一方国際機関も「帝国主義列強の対立を抑止」し得ない、その上恐慌が加わり、内外での「矛盾が一層先鋭になる」。この結果誕生したのがファシズム独裁である。

③ 「ファシズム国家観」 ファシズムは、「独占資本の極度に合理化された寡頭支配形態」であり、「一方の極に絶対的な国家主権、他方の極に一様に均された国民大衆」という実態を有する。これは「市民社会の本来的な傾向の究極にまで発展したもの」である。そして「ファシズム国家観の出発点は常に民族乃至は国民」であるが、ここでの「民族」(精神)は「指導者人格の創造的形成のなかに精神的に展開」されると解された(ラレンツ)。但し、この指導者による「創造的形成」と「民族精神」が結びつく理由は、「全く信仰に委ねられる」。このようにファシズム国家観では、「基礎構造の合理化が極端になればなる程、それを非合理的なヴェールで覆う」ことが必要とされる。

丸山眞男『丸山眞男集』第1巻(1996年、岩波書店)5-32頁。

原田尚彦「裁量権収縮論」

 「一 法治行政と行政便宜主義」  行政庁は、公共の安全と秩序を保持する責任を負い、「そのために国民の権利自由に規制を加える権限を有している」。そしてこの権限は、「行政法規の授権するところに従い、法規にそって行使しなければならない」( 法治行政の原則 )。但し、授権がある場合でも...