2022年3月31日木曜日

宮沢俊義「信教の自由」

第三節 信教の自由

「1 『神社は信教にあらず』」

① 旧憲法は、「神権天皇制をその根本義とし」、「天皇の祖先を神々として崇める宗教」つまり「神社または惟神道」を他の宗教と同等に扱うことを好まず、特に「天皇崇拝の精神的基盤」を固めるため、神社に「国教的性格を与える」ことを必要と考えた。「こうして国家神道が成立した」。


② しかし明治憲法が、信教の自由を定めることと「神社を国教的に扱うこと」とは、明らかに矛盾する。そこで当時の政府は、「『神社は宗教にあらず』という命題」で、この矛盾を解消しようとした。神社は「単に祖先の祭りというだけのもの(!)であり、憲法にいう宗教ではない」。故に神社を特別に扱い、これに公的な地位を認め、国民に神社への参拝を強制させても、信教の自由には関係ないという説明であった。

③ しかし、神社が宗教であることは明らかであるから、この説明では、旧憲法の信教の自由は「神社を国教と認めることと両立する限度においてのみ」認められていたということを意味するにすぎなくなる。そして旧憲法の末期には「神社国教制が公然と支配する」に至り、「『神国日本』だとか『神州不滅』」だとかの掛け声の下に、狂信的な神国主義が、日本を支配した」。


「2 宗教の自由」

 降伏は「かような神国主義に終止符を打った」。そして、天皇が現御神たることを否定する詔書(1946年1月1日)は、「『人間宣言』として注目された」。これは天皇が「あらゆる神々から絶縁したことを宣言」したものと解される。もっとも、日本の降伏により、天皇主権が否定され、国民主権が確立されるとともに既に天皇の神格は否定されていたのであって、この証書はこの旨を確認的に宣言したにすぎないと解される。


「3 政教分離」

 信教の自由の保障を完全にするために、「国家と宗教とを完全に絶縁させる必要がある」。つまり宗教を「まったくの『わたくしごと』にする必要がある」。これが政教分離である。明治憲法下では「反対に政教一致が原則とされていた」。

 以前保安隊(後の陸上自衛隊)の隊員が、隊内に皇大神宮と靖国神社を祭神とする神社を建築したが、後に第一管区総監の指示の下撤去されたという事案があった。これに対し「神社方面から強い抗議」があり、上記措置は「信教の自由の原則に反すると主張したが、むしろその反対である」。憲法は信教の自由のために、「国有地を神社の敷地として提供することを禁止しているのである」。

 ただ神社とその支持者は、「何らかの形で、神社に対して、一般の宗教とは違った地位をみとめ」ることを主張する。特にこれは「靖国神社と伊勢神宮についてなされる」。神宮は宗教と見るべきではなく、国がこれに補助を出すのは憲法上問題ないという意見が政党の一部にあるが、神社を宗教でないとすることは、「明治憲法時代の『神社は宗教にあらず』の命題を復活させること」であり、現行憲法に反することは明瞭である。


宮沢俊義『憲法Ⅱ』新版(1971年、有斐閣)347-361頁。


丸山眞男「日本の思想」

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