田中伸尚「克服されざる過去の中で 1969〜1974年」
「『自治会神道』との闘い」
「自治会と神社」の関係で「『民衆の靖国』の一つの相貌」を見たのが浜松市のM氏だった。M氏は、「自治会役員が、地域の神社の秋祭りに寄付を集めに訪れた」際、自身がクリスチャンであることを理由に寄付を断ったあたりから、自治会と神社の関係に疑問を持ち始めた。そしてM氏は後に回覧板で、①神社の祭りが自治会主催である、②自治会役員は祭りの実行委員になる、③一世帯あたりの平均寄附金額、等を知った。
M氏は後の調査で、「自治会費から神社維持費、祭典費が支出」されていること、自治会会則に、神社の祭典を自治会主催で行うことや「氏子総代が自治会の役員会に出席」する旨の規定があることを知った。そして「自治会会員は自動的に全員氏子にされていた」。その結果、組織、財政、維持管理、宗教儀式の「あらゆる面で自治会と神社が一体化した関係にある」ことがわかった。M氏は、神社と自治会の関係を「『自治会神道』」と名付け、自治会長らに神社と氏子を分離すべき旨主張したが事態は改善されなかった。
それどころかM氏は、自治会長から「『個人の宗教と公の宗教を混同されています』」と反論を受け、神社が町の公の宗教である、また「『神社に反対するようなやつは日本人じゃない』」と非難され、後に自治会退会に追い込まれ、M氏のもとには市の情報が届かなった。この点M氏からの抗議を受けた浜松市長は、神社は宗教ではなく、自治会からの脱会は自由の履き違えと反論した。なお浜松市については、自治会や靖国参拝のための市遺族会に補助金が出ており、市職員も参拝に随伴していることが後に判明した。
このような経過の後M氏は、このような構造を支えるのが「民衆の『自治会神道』」にあると確信し、住民監査請求を起した。それが却下されたため本訴を提起するが、本案審理の前に動きが起きた。遺族会は市職員随伴を返上、市内の自治会をまとめる自治会連合会は神社と自治体を分離するよう各自治体に通知、浜松市は遺族会への補助金支出停止と自治会への補助金の使途については政教分離に反しないことを文章で約束し、事案は解決したかのように見えた。
しかし「『民衆の靖国』は、この社会に根を下ろしていた」。
何年かすると、また神社の祭典の通知文書が自治体経由で回ってきた。M氏は、2001年あたりで「『自治会神道』はほとんどの地域で崩れていない」との認識を有していた。
田中伸尚『靖国の戦後史』(2002年、岩波新書)132-136頁。