2022年5月9日月曜日

丸山眞男「日本の思想」

  「思想が対決と蓄積の上に歴史的に構造化され」ず、ある論争が「共有財産となって、次の時代に受け継がれて」ゆかないという伝統が、日本の論争史にはある。論争において、「これだけの問題は解明もしくは整理され」何がそうでないか「けじめがいっこうにはっきりしないままたち消えになってゆく」。そのため後に実質的に似たような論争が起こると、「前の論争の到達点から出発しないで」また振り出しから始まることになる。

 また日本においては、、「新たなもの」が「過去との十全な対決なしにつぎつぎ摂取される」ため、「新たなものの勝利はおどろくほど」早い。違った文化からの新たなものは、徹底的に自己と違うものとして意識されず、明治以降の「もの分かりの良さ」によって「外国文化を吸収してきた『伝統』」があるため、「『知られざるもの』への感覚」がほとんどなくなり、「すぐ『あゝあれか』ということになってしまう」。

 西欧やアメリカでは、「民主主義の基本理念とか、民主主義の基礎づけ」とかが「繰返し」議論されている状況は、「戦後数年で『民主主義』が『もう分かってるよ』という雰囲気であしらわれる日本」の状況と驚くべき対照をなす

丸山眞男『日本の思想』(1961年、岩波新書)6-8頁、11-16頁。太字部分はこちらが付したもの。


丸山眞男「日本の思想」

   「思想が対決と蓄積の上に歴史的に構造化され」ず、ある論争が「共有財産となって、次の時代に受け継がれて」ゆかないという伝統が、日本の論争史にはある。論争において、「これだけの問題は解明もしくは整理され」何がそうでないか「けじめがいっこうにはっきりしないままたち消えになってゆく...