2022年5月26日木曜日

山崎鷲男「ホーリネス教会事件」

問 宗教弾圧をした人たちの戦後の釈明、生き方如何。

 驚くべきことに、私を弾圧した警察の者は「政治だよ」と放言した。政治が悪かったことにして終わりにするという「国全体が、天皇を頂点として無責任体制だったということ」である。


問 戦争責任に対する反省と日本人の国民性の問題如何。

 「当時の国民が『長いものには巻かれろ式の発想を持っていたため、結局指導者による戦争への道を許してしまった。また日本人の宗教感覚は「きわめてあいまい」だったため、「宗教人の命がけの信仰も容易に理解されず」、「神格天皇という観念もまるで昔からずっとあったように錯覚していた」。


問 日本人の神、国家に関する考え方の再検討の必要性如何。

 自分の信念に従い行動することが、「一般に非常に弱い」。だから政治のせいにして「平気でおれる人がおおい」。


問 靖国神社法案を巡る日本人について如何。

  政治と宗教の関係を正しく認識できず、自分の認識の範囲で物事を判断し、「反対する人間を結局抹殺し、非日本人扱いしてしまう」こととなる。残念ながら本人は、「国家に忠勤を励んでいると思いこんでしまう」面もあり、非常に厄介である。天皇は霊的存在ではなく、神格化ということもおかしい。人間の側から神として祭り上げているだけである。また「戦没者は『英霊』ではない。たんに美化している」にすぎない。

 天皇による公式参拝問題も、「偉い人を招いて権威づける日本人の習性」があってのことと思われる。「とにかく宗教と政治との峻別をきちんとすること」が大切である。

 

問 ホーリネス弾圧をいかすための今後の課題如何。

 戦前の宗教弾圧につき、損害賠償をなぜ請求しなかったと問う者もいたが、「その賠償をするのはいったい誰」か。「このような弾圧に協賛した国民にもその責任がある」のではないか。宗教弾圧のの責任は、特高警察や当時の政府ばかりでなく、誤った軍国主義、「『長いものには巻かれろ』といった事なかれ主義」、正しくない宗教理解認識と無知にある。「むずかしいのは国民の物の考え方の是正」である。


小池-西川-村上編『宗教弾圧を語る』(1978年、岩波新書)180-188頁。太字部分はこちらが付したもの。



団藤重光「滝川幸辰博士の想い出」

 滝川幸辰博士の生涯を一語か二語で表すなら、「おそらく『 闘争 』と『 激情 』ということばがいちばんふさわしいであろう」。博士は、アンゼルム・フォイエルバッハのことが好きだったようで、「火山にたとえられたかれの激情的性格と闘争的精神がおそらく博士の共感を呼んだにちがいない」。 ...